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カ-0019 賀川 豊彦 ≪十字架≫ カ-0019 賀川 豊彦 ≪十字架≫ カ-0019 賀川 豊彦 ≪十字架≫
カ-0019 賀川 豊彦 ≪十字架≫ カ-0019 賀川 豊彦 ≪十字架≫ カ-0019 賀川 豊彦 ≪十字架≫
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カ-0019 賀川 豊彦 ≪十字架≫

賀川(かがわ) 豊彦(とよひこ)

出 身・・・神戸市兵庫島上町108番屋敷の出生。

・・・明治21年(1888年)7月10日

・・・昭和35年(1960年)4月23日

享 年・・・72歳

略 歴・・・〈賀川純一〉の二男として生まれる。4歳で父親と、5歳で母親と死別する。

 父の郷里である板野郡堀江村馬詰(現、鳴門市大麻町)で、
    祖母と義母から教育を受ける。

        第二堀江尋常小学校(現、堀江南小学校)、県立徳島中学校
    (現、城南高校)を経て、明治学院神学部予科、神戸神学校を卒業する。

         徳島中学校在学中に、〈マヤス牧師〉の洗礼を受けてキリスト教に
    入信する。

         明治42年(1909)、神戸神学校時代に神戸茸合新川のスラム街に
    身を投じ、伝道と救貧活動に献身的に尽くした。

        大正3年(1914)、アメリカのプリンストン大学に留学し、帰国後は
    社会運動や労働運動など積極的に参画し、また友愛会や川崎・三菱造船の
    労働争議では指導者として活躍した。

         大正9年(1920)、改造社より出版した自伝的体験小説
    『死線を越えて』三部作は大正期において大ベストセラーとなった。

         さらに、生活協同組合組織の共益社や、神戸購買組合の創設、
         日本農民組合の創設、イエス友の会の結成など、多方面に業績をあげた。

          大正12年(1923)、関東大震災が起きると、いち早く救済活動に
     奔走する。
          この後は、居を東京に移し、本所松倉町にキリスト教産業青年会の
     設立や経済調査会委員として活躍、百万人の救霊運動の開始、
         労働農民党の創立、農民福音学校の創立などに尽くした。
          また、世界伝道を志し、 13回におよぶ海外布教で国際的な
         伝道者として知られた。

         晩年には、世界連邦建設運動の提唱者の一人として、
     世界連邦アジア会議議長も勤めた。

         昭和30年(1955)、ノーベル平和賞の候補に推された。
     昭和33年(1958)、徳島市名誉市民となる。
     昭和35年(1960)4月23日、東京松沢の自宅で病没する。
     東京と鳴門市にお墓がある。

主な特徴・・・書を良くし講演会などでも、板書の代わりに、筆紙を用いて有名であった。

         『人間苦と人間建築』『太陽を射るもの』『予言者シレミア』など、
     多数の著がある。

         昭和57年(1982)、東京松沢に完成の賀川記念館には、
     2百冊を越える著訳書をはじめ、数々の遺品が収録されている。

         平成10年(1998)、鳴門市大麻町に賀川豊彦記念館が完成する。

 


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