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カ-0046 閑々子 ≪梵字 六字名号≫ カ-0046 閑々子 ≪梵字 六字名号≫ カ-0046 閑々子 ≪梵字 六字名号≫ カ-0046 閑々子 ≪梵字 六字名号≫ カ-0046 閑々子 ≪梵字 六字名号≫ カ-0046 閑々子 ≪梵字 六字名号≫
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カ-0046 閑々子 ≪梵字 六字名号≫
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カ-0046 閑々子 ≪梵字 六字名号≫

 

閑々子(かんかんし)

出 身・・・三好郡箸蔵村(現、池田町

・・・1752年(宝暦 2年)9月 7日

・・・1827年(文政10年)6月15日

享 年・・・76歳

・・・幼名は八重八、諱は天如、字は峻山。

別 号・・・閑々子、閑々山人、換水和尚、南方松林子、松林老人

略 歴・・・来代禎衛門の二男。

    幼い頃から神童と呼ばれ、慈悲の心を持ち合わせていた。

    徳島城下勢見の千手院観音寺の快観上人に入門。

    若かりし頃、高越山に籠もって修行。〈一字一石の妙法華〉(*注1)を修得。

また、〈雨乞いの修法〉(*注2)を実践する。

    のちに、法弟快本とともに京都に出て、修行する。

    その後、備中は井山宝福寺の大雲禅師につき禅学び、律行を密門律師に受け、また無相大徳に従い、〈観阿法〉を修めた。

次いで、奈良東大寺など諸寺を歴訪して、律宗などを修行する。

さらに、河州葛城山高貴寺の慈雲律師(*注3)について学び、仏学の奥義を極める。

文化八年(1811年)帰徳し、11月には勢見の金比羅で、神祇灌頂壇(注4)を開催。

次いで、南方玉厨子山(現、日和佐町)に隠居し、方丈の小庵(薬王寺奥の院?)

   に籠もり修行する。

    のち、勝浦郡中田村(現、小松島市中田町)の豊林寺跡に草堂を開き、閑々子と号して修禅を怠らなかった。

晩年、国府に赴く途中に発病し、二軒屋の観音寺で示寂。

小松島市中田町の願成寺に葬られた。

主な特徴・・・小松島市の多田家八代助右衛門と親交が深く、共に水墨画を描いたという。

亀・海老・蟹・蛙・牛・蝸牛・松茸など、田のあぜ道や水辺に住む目にふれたものが、画題になった。

奇人としても有名で、門前には『祈念応ぜず、加持験なし』と書いてあったという。

また、書画の揮毫を乞うものが多く、謝礼の代わりに、泉水の水を換える作業をさせたので《換水和尚》といわれた。

*注1)一字一石の妙法華・・・高越山は高越寺開基の高祖大師によるもので、妙法華の経文を一個の石に一字づつ書き写すという宗法。

*注2)雨乞いの修法・・・ある時、日照りが続き各社寺、高僧により、雨乞いを行ったが効果がなく、多くの修錬を積んでいる閑々子に託したところ、たちまちにしてご利益が現れ、数日間にわたり雨を降らせた、といわれている。

*注3)慈雲律師・・・享保三年(1718)〜文化元年(1804)生法律の提唱者であり、実践者でもある。数々の住職を経て、葛城山中の高貴山に隠居し、天明六年(1787)には、同寺が真言律宗の総本山になる。彼の弟子は数多く、阿波出身の門人としては、祥瑞上人(正興寺第八世住職)、厳蔵上人(長谷寺第十三世住職)、懐円上人(瑞川院第十一世住職)、閑々子とが有名である。この四人は親交が厚く、閑々子の作品の中に合作として、見受けられる。

*注4)神祇灌頂壇・・天地間のすべての神々に仏戒を授け、仏位に入らしめる密教の秘法。


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