2024年 04月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30     
今日
 

トップ > 掛軸 【阿波の作家】 > キ-0012 玉澗 ≪書≫

キ-0012 玉澗 ≪書≫ キ-0012 玉澗 ≪書≫ キ-0012 玉澗 ≪書≫ キ-0012 玉澗 ≪書≫ キ-0012 玉澗 ≪書≫ キ-0012 玉澗 ≪書≫
キ-0012 玉澗 ≪書≫ キ-0012 玉澗 ≪書≫ キ-0012 玉澗 ≪書≫ キ-0012 玉澗 ≪書≫ キ-0012 玉澗 ≪書≫
キ-0012 玉澗 ≪書≫
拡大画像

キ-0012 玉澗 ≪書≫

(ぎょく) (かん)

出 身・・・京都

・・・明治 4年(1771)

・・・安政 3年(1856) 5月17日

享 年・・・86歳

  名・・・元寔

  字・・・玉澗

  号・・・半偈斎

略 歴・・・16歳の時、阿波に来て興源寺の〈大皇老師〉の下で剃髪し、僧籍に
入った。
 禅道に励む一方、詩文の研鑽も励んだ。詩を〈岡 公翼〉に学び、文
を〈大興 梅荘〉に学ぶ。
 20歳の時、備中の〈大雲老師〉を訪い、武洲に出でては〈俄山和尚〉
に参じ、さらに京都の竜安寺に入り、〈古月下隠山禅師〉の下で参究し
た。
 30歳で興源寺に帰り、その後も再び隠元禅師について修行し、つい
に師の印可を受けて文字碑を宣掲することになった。
 興源寺の中興として知られている。
 勅諡号は、『大悲妙感禅師』。墓は、興源寺境内にある。

 

主な特徴・・・慈光寺の〈春叢〉と共に《禅林の双璧》と讃えられ、大いに禅風を
挙掲し、全国的に「阿波禅」「文字禅」として名を知られた。諸国から
興源寺の禅堂に集まる雲水僧は、数百人を超えたという。
 文名も高く、詩文、書をよくし、琴を弾じた。特に七律に長じ、〈古
賀 精里〉〈篠崎 小竹〉〈斎藤 竹堂〉らと親交があった。
 遺稿に《半偈斎稿》がある。
 『妙心寺史』には、「玉澗の門を一度通過した諸師は、何れも道学兼
備の概をもつに至る」と記載されている。当時、わが国で第一流の禅僧
であると謳われた事を物語っている。


※返品OKです。一度手に取ってお確かめください。
 但し、返品に伴う送料、返金に伴う手数料はお客様にご負担願います。ご了承ください。

価格 : 88,000円(税抜80,000円)
数量
 

かごに入れる すぐに購入
  • お気に入りリスト
  • 商品についての問い合わせ
  • * 本紙:紙本  状態:良/表装取り替えなし/新桐箱収納  本紙寸法:丈112cm/巾28cm  全体寸法:丈189cm/表装巾40cm

ページトップへ