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シ-0008 柴野 碧海 ≪書≫ シ-0008 柴野 碧海 ≪書≫ シ-0008 柴野 碧海 ≪書≫ シ-0008 柴野 碧海 ≪書≫
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シ-0008 柴野 碧海 ≪書≫

柴野(しばの) 碧海(へきかい)

出 身・・・讃岐国三木郡武例村(現、香川県木田郡牟礼町)

・・・安永 2年(1773)

・・・天保 6年(1835) 7月16日

享 年・・・63歳

  名・・・允升

通 称・・・弥吉、大吉、のちに平次郎

  字・・・応登、また吉甫

  号・・・碧海、また東霞

略 歴・・・〈柴野 栗山〉の弟、貞穀(医師)の次男に生まれる。
 安永8年(1780)、7歳の時に、嗣子のいない伯父栗山(当時44歳、
徳島藩濡)の養子となり、帰国中の伯父に伴われて上洛した。
 天明8年(1789)、栗山が幕府に招聘されたので、阿波での家督を相続
した。この頃江戸に出て、昌平坂学問所で修業を続けた。
 寛政6年(1795)、4月から約半年かけて、長崎に遊学する。
 寛政11年(1800)、7月から約1年半かけて、上方・西国諸国を遊学
し、多くの文人たちと交流を深め、見聞を広めた。
 享和元年(1801)、32歳で国住みを命じられ藩校の教官となる。これ
以降は、没年までの間、約10回の江戸への往来以外は徳島に住み、
諸生に教授した。また、藩主公子・斉昌の侍講を勤めた。
 贈正五位を賜る。
 墓は、徳島市蔵本の常厳寺裏山の柴野家墓地にある。

 

主な特徴・・・阿波藩濡の中で随一の評判もあり、特に人物評に優れており、墓表
など数多く残している。
 特に交友の深かった儒者に、〈頼 山陽〉〈篠崎 小竹〉〈岡田 墨樵〉
らがいた。
 詩文をよくし、主な著書に『枕上集 上・下』『阿府志抄』『柴栗山先
生遺事』などがある。


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