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シ-0013 柴 秋邨 ≪漢詩≫ シ-0013 柴 秋邨 ≪漢詩≫ シ-0013 柴 秋邨 ≪漢詩≫ シ-0013 柴 秋邨 ≪漢詩≫ シ-0013 柴 秋邨 ≪漢詩≫ シ-0013 柴 秋邨 ≪漢詩≫ シ-0013 柴 秋邨 ≪漢詩≫
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シ-0013 柴 秋邨 ≪漢詩≫ シ-0013 柴 秋邨 ≪漢詩≫
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シ-0013 柴 秋邨 ≪漢詩≫

(しば) 秋邨(しゅうそん)

出 身・・・徳島県紀伊國町(現、元町)

・・・天保 元年(1830)

・・・明治 4年(1871) 3月18日

享 年・・・42歳

幼 名・・・卯吉

通 称・・・新蔵、のちに六郎

  名・・・維卯(これしげ)、のちに萃(しげる)

  字・・・緑野

初 号・・・繭山、のちに秋邨

別 号・・・東野、帰樸、紅賓、秋蓀など

略 歴・・・幼少に父を失い、8歳の時に菓子店の丁稚となる。
 読書が好きで医師の《河野弘》に見出され、門弟となる。
 数年後、医学にあきたらず、《新居水竹》の小心塾に入門し、漢学・儒学を学んだ。     
 弘化二年(1845)江戸にでて、《大沼枕山》《羽倉簡堂》に師事して、詩を学んだ。     
 大阪では、《広瀬旭荘》の旭荘塾に入門し、嘉永三年(1850)2月6日には、旭荘の旧号である『秋邨』の号を授かる。非常に重視され、塾長になる。
 その後は、山陽・九州諸国をまわり勉学する。     
 文久元年(1861)郷にて、思済塾を開校して教授した。この年の12月、藩主斉裕に起用され、儒臣に任用される。また藩校洋学校の教官を兼任した。
 明治元年(1868)藩主茂詔に従い上京、帰国後まもなく明治三年(1870)庚午事変が起き、これに関連したとして禁固3年の刑を受けた。     
 旧師である水竹以下の同志10人の死を悼み、悲嘆痛飲して病におちいる。 
 明治四年(1871)3月18日、没した。     
 徳島市南二軒屋町、実相寺は東方の亀甲庵墓地に葬られた。

 

主な特徴・・・経史よりも、詩に長じ、書に優れ、画もよくした。      
 詩は豪放で長詩を得意とする。      
 酒をこよなく愛したので、書・画とも酔狂の作品が多い。      
 遺著に『秋邨遺稿』三冊がある。     
 門人に近藤廉平・阿部興人・曽我部道夫などがあった。

 


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