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ツ-0001 都郷 蠖堂 ≪書≫
都郷 蠖堂
出 身・・・美馬郡一宇村伊良原
生・・・安政 5年(1858) 2月27日
没・・・昭和19年(1944) 5月23日
享 年・・・87歳
名・・・角太郎
号・・・屈伸園蠖堂
別 号・・・鐸堂
略 歴・・・元治元年(1864)、7歳にて〈宮内 安芸〉に入門。
明治 2年(1869)、〈山口 義重〉に師事。
明治 5年(1872)、〈田辺 竜仙〉に学び、屈伸園蠖堂の号を受けた。
明治15年(1882)、和歌山市に行き、〈森田 節斎〉の弘倫塾に入り、経史・文章を習った。
明治19年(1886)、元紀州藩勘定奉行〈水上儀左衛門〉の娘イクと結婚し、和歌山県で教員となった。
明治21年(1889)、父の命で帰県し、美馬郡内の小学校に勤めた。
明治26年(1893)、古見小学校校長に就任し、明治41年まで勤めた。
明治41年(1908)、徳島市会所町に住まいを移し、書塾を開いた。かねて研究していた書論と書道を全国に普及するため、東京・大阪・岡山・広島・今治など、転々と住まいを移した。
大正 5年(1917)、この頃より視力が衰え初め、のちに眼病の為、歩行困難になる。
大正 7年(1919)、京都に移った時には、全く見えなくなっていた。が、書道に励み、全国を回って書論を説き、書道による国民道徳の高揚に努めた。
昭和 3年(1929)、天皇ご即位の時には、その書と著書を献上して天覧の光栄に浴した。
昭和 7年(1932)、東京市滝野川中里に移住した。その後も台湾・福岡・京都と、書道の普及に心血を注いだ。
昭和14年(1939)、書道による世界平和と戦争の悲惨さと、無益な殺生の防止を力説した、『日米親善論』を著したが、残念ながら当時の軍国熱には、その論には耳を傾けなかった。
昭和16年(1941)、徳島県の一宇村に、一時帰郷した。2年後には再び東京に帰った。
昭和19年(1944)、西巣鴨の娘婿〈有賀 長靖〉宅で生涯を終わった。
主な特徴・・・書に長じ、特に草書体に優れていた。
主な著書・・・大正 元年(1912)、『筆道革新歌』
大正11年(1922)、『草訣百韻歌刪修』
大正14年(1923)、『ひらかな運筆法』『運筆七則』『構体八則』
昭和 3年(1928)、『大和天謨』『字徳学全』
昭和14年(1939)、『日米親善論』
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* 本紙:紙本
状態:良/表装替済/新桐箱収納
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