三木 恒山
出 身・・・海部郡牟岐町
生・・・文化 8年(1811)
没・・・明治24年(1891) 4月17日
享 年・・・81歳
名・・・正恒
通 称・・・佐源太、幹の姓も使用した。
略 歴・・・医師道碩(正孝文達)の五男として生まれる。
16歳の時、医学を学ぶため京都に遊学したが、画を好み、天保5年(1834)24歳の時、〈岸 駒〉に入門。
帰郷後、徳島市富田定普請町(現、栄町付近)に移住し、神官もしたという。のちに、小松島市坂野町に移り住んだ。
明治17年、東京の第二回内国絵画共進会に出品し、褒賞を得ている。このとき親交があった〈守住 貫魚〉は金賞を受け、ともに東京で祝杯を挙げたという。
主な特徴・・・花鳥・人物に優れていたが、特に虎の画が得意だった。
恒山には多くの門弟があった。長男の正晴(春暉)、娘のトラ(松嶺)も父に学んだ画人であった。
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