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モ-0006 守住 貫魚 ≪三保の松原図≫ モ-0006 守住 貫魚 ≪三保の松原図≫ モ-0006 守住 貫魚 ≪三保の松原図≫ モ-0006 守住 貫魚 ≪三保の松原図≫
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モ-0006 守住 貫魚 ≪三保の松原図≫

守住(もりずみ) 貫魚(つらな)

出 身・・・徳島市富田掃除町(現、明神町)

・・・文化 6年(1809) 7月11日

・・・明治25年(1892) 2月26日

享 年・・・84歳

初 性・・・清原

幼 名・・・伸美

  名・・・貫魚

  字・・・士済

  号・・・輝美、次いで定輝

別 号・・・是姓斎/回春斎/寄生軒

略 歴・・・藩の鉄砲方〈庄野 幸次郎延知〉の子として生まれる。
 文政7年(1824)、16歳に藩の御時計師〈沢禎章〉の世話で、土佐派の〈渡辺 広輝〉に入門する。
 文政12年(1829)、「光格上皇修学院に幸する儀仗図」三巻の補写が認められ、「輝」の字をもらって輝美と号する。
 天保4年(1833)、江戸にて〈板谷 広当〉の「日光縁起図巻」の補写が認められ、〈住吉 広定〉に入門。
 天保5年(1834)、「定」の字をもらい、定輝と改めた。
 天保6年(1835)、一橋家の寝殿の障壁画を描き、これがお気に入りとなり、藩主〈蜂須賀 斎昌〉に譲受の依頼があった。
 天保7年(1836)5月1日、江戸より帰国し、徳島城西の丸の風琴閣に雲竜図を描く。
 天保8年(1837)5月19日、藩命により、摂津・山城・近江・三越・加賀・信濃・上野の諸国を遊歴し、ついで東海道の名勝をめぐり、各地の風景を写生する。
 天保10年(1839)7月に帰着する。この時の「全国名勝絵巻」十巻が、県指定文化財になっている。
 天保11年(1840)11月12日、正式に藩の絵師になる。
 安政元年(1854)8月、貫魚と改名する。
 安政2年(1855)8月、師の〈住吉 弘貫〉の依頼で、京都御所紫宸殿の障子に「朝賀の図」を補写する。
 明治維新後、大麻彦神社、金比羅神社、国瑞彦神社などの、宮司を歴任。
 明治14年(1881)8月、大阪に移住する。
 明治15年(1882)第一回内国絵画共進会に「船上山遷幸図」を出品。藍綬銅印を受賞する。
 明治17年(1884)第二回内国絵画共進会に「宇治川先陣図」「登龍図」を出品。全国でただ一人紫綬金印を受賞する。日本画壇の重鎮的存在になる。
 元治元年(1864)に描いた「新町橋重修成始渡人図」は、県指定文化財になっている。
 明治25年大阪自宅にて老衰のため没する。

主な特徴・・・歴史故事に詳しく、精密描写の歴史画が得意であった。
 写実力に優れ、花鳥画・山水画・肖像画など、多くの名作を残している。

葬 所・・・徳島市伊賀町の神葬墓地。


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  • * 本紙:絹本  状態:良/表装替済/新桐箱収納  本紙寸法:丈38cm/巾48cm  全体寸法:丈126cm/表装巾54cm

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