岡本 午橋
出 身・・・徳島市富田厠町
生・・天保14年(1843年)4月20日・
没・・・大正 8年(1919年)5月29日
享 年・・・77歳
名・・・文、のち斯文
通 称・・・太郎、のち優太郎、また聞一
号・・・午橋、五邱、寄瓢、楽瓢庵、寄瓢閑中有忙處、など。
略 歴・・・晤叟の子。幼時は、家塾である友徳塾で四書五経を学び、長じて藩儒【那波 鶴峰】の教えを受けた。
慶応3年(1867)、藩の儒曹権員(儒者役見習い)となる。
明治3年(1870)、東京遊学し、【安井 息軒】【林 鶴梁】に学び、
翌年に帰郷する。
明治10年(1877)、徳島女子師範学校長心得に任命され、
女子教育の要を説いた。
明治12年(1879)、徳島中学校(現城南高校)初代校長心得となり、
基礎を築いた。
明治15年(1882)、徳島師範学校長、並びに徳島高等女学校長を兼務
した。
明治24年(1891)、徳島高等女学校廃止の際、自費を投じて養淑会を
開設し、女子教育を行い女性私塾の先駆者となった。
明治27年(1894)、病で退職後は、家塾の友徳堂で門生の指導にあた
った。
明治38年(1905)10月、功績により藍綬褒章を授与された。
大正8年(1919)5月29日、没。徳島市二軒屋町の観潮院に葬られる。
主な特徴・・・瓢箪をこよなく愛し、瓢箪を左手で撫でながら読書したという。
詩書に長じ、著書には『楽瓢庵詩文鈔』『修身小言』『文章軌範便蒙』
『卜氏れい癡符』『蜂須賀蓬庵公略伝』などがある。
長男、昇氏は姫路高等学校(現神戸大学)漢文教授となる。
長女の婿は、徳島中学校で35年間漢文を教えた、
〈岡本 対南〉である。
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