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ニ-0004 新居 水竹 ≪書≫
新居 水竹
出 身・・・徳島城下紙蔵町、のちの富田中屋敷(現、徳島市富田橋2丁目)
生・・・文化10年(1813) 4月15日
没・・・明治 9年(1870) 9月15日
享 年・・・57歳
幼 名・・・百太郎
通 称・・・与一助
諱・・・謙
字・・・受益
号・・・水竹、または成園小史
略 歴・・・阿波藩の御台所人〈米之丞〉(春洋)の長子として生まれる。
幼時には父春洋の教えを受け、長じてからは、【鉄 復堂】【岩本 贅庵】【柴野 碧海】 【那波 鶴峰】に漢学を学んだ。
文政9年(1826)、料理方見習いで仕官し、父親の死期家督を相続した。
天保14年(1843)、徳島藩主【蜂須賀 斉昌】に随行して江戸に行った時、〈古賀 穀堂〉 〈佐藤 一斎〉〈安積 良斎〉〈大槻 磐渓〉〈大沼 枕山〉などに学んだ。
嘉永3年(1850)、江戸に行き、【昌平學】に学んだ。
安政6年(1859)、徳島藩主【蜂須賀 斉裕】の侍講になる。
万延元年(1860)、徳島藩主【蜂須賀 茂韶】の侍講になる。
文久元年(1861)、江戸の〈長久館〉の教授となる。
文久2年(1862)、京都に上がり、時事に奔走する。【等持院の足利三代木像梟首事件】 【蛤御門の変】などの政変により、免職され帰郷する。
慶応元年(1865)、三好郡池田村の郷学校教授として赴任する。
明治元年(1868)、藩政に復帰する。
明治2年(1869)、長久館の教授になり、さらに學頭に昇格する。
明治3年(1870)5月13日、【庚午事変】を起こす。その首謀者として、9月15日に東京芝白金の藩邸で切腹となる。これが日本刑政史上で最後の切腹とされている。
主な特徴・・・遺骸は東京三田の明王院に葬られた。
墓は、徳島市二軒屋町の潮見寺にある。
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* 本紙:紙本
状態:良/表装替済/新桐箱収納
本紙寸法:丈134cm/巾30cm
全体寸法:丈197cm/表装巾43cm
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